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そのひぐらし

バンドそのひぐらしの音楽活動をお届けします

そのひぐらし 原口正樹




男の名は原口正樹。

言わずと知れたそのひぐらしのベーシストである。

彼はそのひぐらし以前、ソロで「禅ヒッピー」というアルバムを完成させている。

もしもそのひぐらしでなかった人生を生きていたとしたら「禅ヤッピー」、「禅ホッピー」とセカンド、サードアルバムを製作し、
職場の上司であり共に山に登る仲間、盟友タケフジさんに先立たれ(結婚され)一人残された原口は誰も知らない鬼峰に挑み、下山途中に滑落し死亡しているだろう。

原口のソノヒグラシカルストーリーを語るには人類の誕生にまで遡らなければならないが、ここでは割愛させていただき原口正樹の誕生からとする。




正樹は静岡県御前崎市、原口家の長男として生まれた。

少年時代はファミコンよりも地図を開いて地図上の河川に思いを馳せては悦に入り、ウシガエルを捕まえようと策を練っていたというのは当ブログ原口の日記からだが、いわゆる普通の少年ではなかった。

中学に入ると柔道部に所属し得意技は大外刈りであった。

柔道着を滅多に洗わないで有名であり、部の友人達には嫌がられていたが当人はその汚れを誇りに思っていた。

高等学校はかの有名な「イケ高」に進学する。

可もなく不可もない成績で進級していき法律家を志し、山梨の大学へ法律を学ぶため父と母、姉そして御前崎の潮騒に別れを告げ一人山梨へと旅立って行った。

原口が大学の軽音楽部に所属していると熊井という名の後輩が軽音楽部に入部してきた。

後のそのひぐらしのリーダー、熊井丈の兄である。

原口は熊井兄をたいそう可愛がり、また熊井兄も原口を慕っていた。

夏休みなどの長期休暇中、熊井弟は熊井兄の所へ遊びに行き、そこで原口と熊井弟は出会ったのだ。

当時の名残りか原口は熊井弟を「タケル」と呼ぶことがたまにある。

大学を卒業しジョイプラザに就職。

富士店に配属されメキメキと頭角をあらわし、ジョイプラザ創業以来の最年少店長に就任。

上司でもある盟友タケフジさんと出会い義兄弟の杯を交わし、共に登山を始め数々の山々を二人で踏破する。

その傍らでジョイプラザ特有の高難度ミッションをこなしながら「禅ヒッピー」を完成させる。

名曲「決別トレイル」や32歳にしてうんこを漏らした歌などを含む全15曲ぐらい入ったCDはジョイプラザ各店で販売された。

そうした日々を過ごしていると、運命を知らせる熊井弟からの電話が鳴った。

何事かと仕事を終わらせ指定された場所へと向かう。

そこは天命の地、現そのひぐらし練習場であった。

半分崩れたボロ小屋に入ると熊井弟と以前、熊井兄の手引きにより顔を合わせたことのあるギター弾きの男と詩人だと紹介された見知らぬ男が一人いた。

熊井弟は言った。

長いことにいさん(ギター杉山)と二人で音楽をやってきたが、どうにも曲に歌詞がつけれなかった。
だけどこの岡っちが曲に詩をつけてくれた。
詩がついたからこれからそのひぐらしとしてバンドをやっていきたいけどベースがいないからぐっさんにベースをやってほしい。

と熊井は慎重に言った。

そして「街がまた暮れていく」、「旅立つ若者へ」、「ウィスキーは知っている」を原口に聴かせた。

原口はまず熊井に、杉山に、そして詩人と一人ずつに丁寧に拍手をしていった。

熊井はさっきと全く同じ話しをし、原口は「是非一緒にやりたい」とそう言った。

熊井は安堵したようでさっきと同じ話しをもう一度した。

原口は「いや、だから是非一緒にやりたい」とそう言った。


こうして原口はそのひぐらしになったのでした。




続く






  1. 2018/03/09(金) 21:15:50|
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